2012/08/08 松尾芭蕉『おくのほそ道』
本日は松尾芭蕉の『おくのほそ道』を見ていきたいと思います!
勘の良い方ならあの句を紹介するつもりだろうなとすでに察しがついていることと思いますが、今日はそのあの句について見ていきたいと思います。
みなさん、おくのほそ道を覚えておいででしょうか。
中学校くらいで習いますよね。俳句やら短歌、古文については日本の教育の中では必須のものとなっていますね。
まずはおくのほそ道を思い出すためにも最初の部分をごっそり引用してみましょう。
「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思いやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やや年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかかりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。」
いかがでしたでしょうか。こんなのもあったなーと私も書いていて懐かしくなりました。
松尾芭蕉の句といったら、みなさんまずどの句を頭に思い浮かべるでしょうか?
やはり最も有名なのは「古池や蛙飛び込む水の音」なのではないかなと思います。
または上のおくのほそ道の「草の戸も住替る代ぞひなの家」、それとも「夏草や兵どもが夢の跡」でしょうか?
「卯の花に兼房みゆる白毛かな」が浮かんだ人は残念、それは芭蕉ではなく曾良の句です。
そして今回取り上げるのはやはりこの句、
「閑さや岩にしみ入蝉の声」
です。こちらも有名な句なので知っている方は多いと思います。
意味としては言葉で大体分かると思うのですが、静かなところで岩にしみ入るようなセミの声が山寺の静けさを一層強く感じさせるな、と孤独感を余情としている句です。
私はこの句が好きで、蝉という言葉が入っているからこそより好きというのもあるのですが、しみ入という言葉と情景が頭に浮かんでくるような句がとても素敵だなと思っています。
さて、この句を見て頭の中で蝉が鳴き出している頃だと思うのですが皆さんの頭の中で鳴いているセミは一体どの種類ですか?
そしてこの芭蕉の句の「蝉」とは一体どの種類のセミなのか、考えたことがあるでしょうか。
歌人の斎藤茂吉がこの句の蝉についてアブラゼミだと断定したことによって、この句の蝉が一体なんなのかという論争が起こったそうです。
それに対し夏目漱石の門下であった小宮豊隆は「元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となって、アブラゼミはまだ鳴いていない」と言ってこの句の蝉がアブラゼミであるのはおかしい、この蝉はニイニイゼミだと主張したようです。
その後茂吉は実地調査をしたりして誤りを認めて、この句の蝉はニイニイゼミであるという結論になっているようです。
ちなみに私の頭の中では複数の蝉が鳴いています。
アブラゼミやニイニイゼミが鳴いている中、少し遠くの方でミンミンゼミが鳴いている…というのが頭に浮かびました。ニイニイゼミだけだと私のイメージとしては岩にしみ入るって感じがしないなぁと思ったり。
みなさんの頭の中ではどうでしょう。蝉の声が岩にしみ入りましたか?
もうニイニイゼミも少々少なくなってきて、この結論を鵜呑みにするのなら芭蕉の感じた岩にしみ入るニイニイゼミの声、というのは聞こえないかもしれませんが山の中で蝉の声を聞くとなんだか風情があるなぁと感じられるので暇がある方は人がいない山道などでボーっと蝉の声に耳を傾けてはいかがでしょう。
芭蕉以上の句がもしかしたら詠めるかもしれないですね。